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![]() 昭和19年(1944)の東南海地震(震度5)により、当山の観音堂である「円通閣」が倒壊し、
厄よけ千手観音菩薩像を奉納した厨子の背後から、不思議な石と、 その下から古文書1通が丸めて納められているのが発見されました。
古文書には「御霊石略縁起」とあり、みたま石のいわれが達筆な筆さばきで記されています。 |
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おおよその意味は、つぎのとおりです。
『御石の由来を尋ねればその昔、美濃の国、武儀郡山田村辺りに墨谷という地があり、 神代よりの霊地にして弁財天を鎮座、お祀りしていた。不思議なことに元禄2年巳の頃、 池の波浮木の石の上に弁財天が忽然と出現し、数々の御利益(ごりやく)をもたらした。 特に農民大助と申す者は、大きな利益をたまわった。 あまりにも奇瑞な石の有りがたさに上京のみぎり、恐れながらも有栖川(ありすがわ) 親王様へ上申したところ、宮様も殊のほかお歓びになり、ご信仰なされた。 また御石の功徳無量なるが故に、 疑いなく信心するようにと、 誠に有りがたいお言葉までをちょうだいした。
そののち、村民はますます豊楽し、信心ひとえにことごとく諸願成就したのは、 この御霊石の厚きたまものと思うが故に、明白なる事実を書きとどめておく。
疑いの雲を払い、信心渇仰の心を起こし、無明の眠りを覚ますべし。 かえすがえすも疑いあるべからず』 云々。 ただし、花押も落款もなし。 また、かようないわれある御霊石が美濃と京をへて、遠江の海龍寺になぜ存在するのか、その経緯は不明です。現在、この御霊石は本堂内に弁財天の表具を掲げて、特別に架台を設けて、鎮座されています。 「たなごころで、みたま石をなでて所望すべし」
「おん そらそばていえい、そわか」 弁財天のじゅもん かくのごとし。 |
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