天台山巡拝
2001年 8月 18〜24日 浜松市仏教会 
 

 天台山  山紫水明の仙山佛土を巡る

天台県北部の山々に連なる中国仏教の一大中心地。最澄や円珍も天台山で修行しています。
古くより紫微宮(北極星を囲む部分)にある三台星宿(三星)に応ずる福境ゆえに「天台」といわれています。 また、天台は天に昇る意味の「上天之台」とも云われて、山紫水明の仙山仏国土を「上天之台」ともいう。日本天台宗の宗章「三諦章」は、これに由来しているという。

 

華頂円覚道場
華頂講寺 かちょうこうじ】華頂円覚道場
後晋の天福元年(936)に徳韶国師が創建し「華頂円覚道場」と呼ばれたが、宋の治平3年(1066)に「善興寺」と命名された。その後火災で焼失したが、真空、真性が堂宇を建立して「華頂寺」とした。
現在の建物は清末に建てられ、大雄宝殿は最近の建立です。正門につづいて前殿、中殿、大雄宝殿(後殿) 僧坊がならんでいる。  
天台宗名寺
古方広寺 こほうこうじ】天台宗名寺
方広寺は天台山の名刹。五百羅漢応真顕化の地であり、五百羅漢道場とも称されています。しかし寺院は長く補修されないため寺廟殿堂のほとんどが壊滅状態になっていましたが、1983年以来、国清寺方丈唯覚法師統括のもと国内外教徒の援助をうけ全面改修を行って古刹を回復します。
大雄宝殿には「龍蔵供奉方広寺」の扁額がかかり、釈迦如来、迦葉、阿難が、両側には十八羅漢が祀られていて、奥の五百羅漢堂には金色の五百羅漢小像が祀られています。
智者塔院
真覚寺 しんかくじ】智者塔院
「真覚講寺」「智者肉身塔」とも云われ、随の開皇17年(597)11月24日、智者大師が石城寺で入滅するや、弟子たちがこの地に葬ったためにできた寺です。 天台智顕(538〜587) は天台大師とも智者大師とも称され、中国天台宗開宗の祖です。

山門には「智者塔院」 の扁額がかかげられ、聯には「登峯始識一大台寺」「入室還尋智者龕」と書かれています。境内に入ると右側に祖殿があり、智者肉身塔の金色の文字が目に入ります。この祖殿のなかに智者大師の真身宝塔が安置されています。
陏代の古刹
国清寺 こくせいじ】天台宗祖庭 陏代の古刹
山門は一般的な南向きではなく東向き、黄色の照壁には「随代古刹」の文字が書かれています。
国清寺は中央に弥勒殿、雨花殿、大雄宝殿の三大殿が並びます。大雄宝殿に向かって左側には、上から妙法堂、静観堂、文物堂、観音殿、安養堂、鼓楼などが、右側には、梅亭、迎塔楼、方丈楼、修竹軒、禅堂、斎堂などが並び、まさしく典型的な中国寺院のただずまいを示しています。

 杭 州 こうしゅう 


古くから貿易港として栄えた地上の楽園のなか仏跡を巡る
蘇州とともに地上の楽園と云われ、その昔、この地を訪れた
マルコ・ポーロも
「世界でもっとも美しく華やかな土地」
と讃えた。

 

霊隠飛来孤
霊隠寺 れいいんじ】禅宗名刹 最愛霊隠飛来孤
霊隠寺は霊隠山上に建ち、霊苑山、仙居山とも呼ばれます。晋代成帝の咸和3年(328)、インドの高僧・慧理はこの地に来て、インドの霊鷲峰とそっくりなため、この山の名を霊鷲峰と呼び、霊隠寺を建立しました。
文化大革命後、宗教活動を回復し、1985年霊隠寺は独立採算性を採用して江南千年古刹の再現に努力しています。天王殿には「霊鷲飛来」と「雲林禅寺」の扁額が掛かっています。霊鷲飛来は黄元秀居士の書ですが、雲林禅寺の字は康照帝の真筆です。
西湖の風景
西 湖 せいこ】中国四大美女の一人、西施にたとえられる美しい湖
杭州城の西側に位置したため、宋代の初め頃からこの名があります。朝夕、雨天晴天、春夏秋冬、日々刻々千変万化を繰り返す湖。いつ訪れても美しいことで知られています。また、細かくは外湖、裏湖、岳湖、西裏湖、小南湖の5湖に分けられます。
宋代の詩人蘇東坡も西湖を春秋の美女西施に例え、「淡粧濃沫総て相宣し、(薄化粧、厚化粧とどんな姿でもすべて素晴らしい)」と漢詩にうたっています。
六和塔
六和塔 ろくわとう】宋代に建築された銭塘江を一望する国宝の塔
月輪山の頂に建つ高さ約60Mの塔です。銭塘江の高潮を鎮め、また灯台の役目をさせるため宋代(970年)に建てられた国宝指定の塔です。外観は13層あるように見えますが、実際は7層の造りです。螺旋階段で最上階まで上がると、眼下に銭塘江の雄大な眺めを一望できます。
浄慈寺の晩鐘
浄慈寺 じょうじじ禅宗名山
南山浄慈寺といわれています。規模は霊隠寺とそっくりで前、中、後に三大殿を造り、中央は1960年建立の大雄宝殿で、重檐歇山頂、黄瑠璃瓦葺きです。
「南屏晩鐘」碑亭は明代(1368〜1398)に鋳造されましたが、清代末この晩鐘はなくなり、近年日本仏教界の援助のもと、ふたたび晩鐘が造られました。
浄慈寺の後院は宋代の高僧「如浄禅師墓塔」です。道元禅師が入宋した時、第13代如浄禅師から3年間修行し、曹洞宗の禅法と法衣を受け帰国しました。
径山万寿寺
径山万寿寺 けいざんまんじゅじ
径山は径(みち)が天目山に通ずるところからいわれています。唐代の天宝年間(742〜756)初めに国一国師法欽が庵を結んで幽居し、代宗の明により大暦4年(769)万寿寺を開創しました。
紹講7年(1137)大慧宗果が住持し、その後も無準師範(仏鑑禅師、1178〜1249)や虚道智愚(円覚寺開山)などが住持し、永平道元や円爾弁円、無学祖元をはじめ、日本からの入宋僧の大半はこの万寿寺を訪れています。
敦煌莫高窟   五台山@   五台山A   雲蒿の石窟   普陀山巡拝   天台山巡拝   黄山・九華山巡拝    総合目次   トップホーム  
EURO CO.,LTD