海龍寺の涅槃会法要  平成17年2月15日 
仏涅槃図
お釈迦さまの亡くなられたことを「涅槃(ねはん)」といい、この日、「仏涅槃図」(ぶつねはんず)を掛けて、お釈迦さまの遺徳を偲ぶ法要を「涅槃会(ねはんえ)」といいます。
涅槃というと単なる「死」ととらえがちですが、それはまちがいです。涅槃とはサンスクリット語 の「ニルヴァーナ」を音訳したものです。「火を吹き消した状態」と訳されています。煩悩の炎を消し去って永遠のやすらぎを示されことを意味します。
お釈迦さまは、わたしたちを迷わす煩悩の炎とは、むさぼり・ぐち・いかりであることを明らかに示されました。このお陰で、私たちは救いの道、仏道をあゆむことができるのです。このようなお釈迦さまの遺徳に永遠の感謝をささげることを自らに誓う法要が涅槃会です。この法要の縁に接して、こうした迷いの闇を払い去って真実の自己にたち返り、自分が本来もっている清浄ななる心をもって真実の歩みをしてほしいと願うものです。
焼香お釈迦さまの布教はインドのガンジス河を中心に、45年間の永きにわたりました。80歳となられたお釈迦さまは、阿難(アーナンダ)と数名の弟子をともなって王舎城(ラージャグリハ)からクシナガラへと布教の旅をされるのです。 自らの入滅を予感され、生まれ故郷のカピラ城へ 向かわれたようです。この旅路の様子をくわしく 記録したのが「大般涅槃経」です。
お釈迦さまは王舎城の霊鷲山を出発されて北へ道をとり、ナーランダを経てガンジス河を渡られ ます。それからベーサリーに至りますが、この時にお釈迦さまには病による激痛がおこったようで、自らの死期を予告されます。そして痛みや疲労をおさえながらもゆっ くりと、なおも歩み進められパーバーに着かれま す。ここで鍛冶工のチュンダの供養を受けられたのですが、この食事で更にはげしい腹痛をおこされます。重病にもかかわらず、弟子達の助けをかり つつ、さらに歩み進められました。カックッター河で沐浴され疲れを癒やされた後ビハール州ク シナガラのサーラ樹林(沙羅双樹)にたどりつかれます。
焼香ここに至ってお釈迦さまは力つきて北を枕にして身を 横たえられました。この状態のまま、そこに集まった人々を前にして最後の説法します。その教えは「遺教経」(ゆいきょうぎょう)として知られています。そして、静かに如来としての永遠の涅槃に入られるのです。阿難をはじめ弟子たちの嘆きは、想像を絶するほど深いものであったのでしょう。経典には「大地震がおこり、人々の身の毛はよだち、天上では自然に天の鼓(つづ ら)が鳴った」と伝えられています。お釈迦さまの入滅は、この世のいかなる悲しみにも、たとえることのできな いほど深いものであったことをうかがい知ることができます。その様子は「仏涅槃図」(ぶつねはんず)として描 かれ広く一般にも知られています。
涅槃図には真っ白い花をつけたサーラ樹の下で、お釈迦さまは頭を北に顔を西に向け、右手を枕にして横臥し、周囲には十大弟子をはじめ、老若男女、鳥獣たちさえも嘆き悲しみ、百獣の王である獅子までが、仰向けになって慟哭している様子が描かれています。空中には諸仏如来たちが、入滅されたお釈迦さまを仏土へと迎えにこられた姿も描かれています。そのとき沙羅双樹は時ならぬ花をつけ、お釈迦さまの身体につぎつぎと白い花びらを散らしたと伝えられています。

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