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平成12年(2000) 賀 春 号 (創刊1号)
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| あけまして おめでとう ございます | |
| 住職 雲 井 泰 正 合掌 | |
新年のあいさつを申しあげます。
きのうまでの一日と一月一日とは、なにも変わったことはありませんが、
元旦は新しい年の始まりなのでめでたいのです。大晦日の一夜が明けて元日を迎えると、
物も心もすべて新しく目に映り、天地が一新した気分になります。
元日も昨日のつづきと言ってしまっては、味もそっけもありません。 ものにはすべて始めと終わりがあります。この初めと終わりには朝、昼、 夜のように繰り返すものもあれば、人間の生命のように繰り返せないものもあります。 「繰り返すことのできない私たちの命」だからこそ、新年の始まりを大切にしたいものです。 正月という折り目、節目を設けてくれたご先祖の知恵に感謝したいものです。 お釈迦さまは「一日一日が新しい命」だと教えています。 繰り返すことのできない生命だからこそ、毎日が新しい始まりになるのです。 平成十二年は二〇世紀、最後の大きな節目の年であり、閏年でもあります。
干支の辰(龍)は、鳳凰、麒麟とおなじく想像の動物ですが、仏法を守護する瑞獣として、 昔から広く人々に親しまれています。ご存じでしょうか。当山内陣正面の欄間には、
一対の立体彫りの龍があります。本堂と開山堂の天井絵にも描かれています。 総代大石圀男氏の超大作です。寺報「龍吟」の題名は、「龍吟じて雲起こる」 云々の禅語から名づけました。元妙心寺管長が染筆した龍吟の掛軸もあります。 この縁起良い庚辰年に寺報一号を発行し、寺名の示すとおり「龍」とは縁深いようです。 | |
| 歴 史 探 訪 @ 【御本尊縁起】 | |
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当山のご本尊は、お地蔵さまです。 正式な名称は「延命地蔵願王菩薩」といいます。木彫りの座像です。
ご本尊のいわれが書かれた縁起文によりますと、いまより二八五余年前、 正徳四年(一七一四)六月に天竜川が決壊して遠江一帯に大洪水がありました。
見渡すかぎりの田畑をこわし、多くの家屋が流出して村人は大きな被害に遭いました。 天竜河口にはたくさんの流木が押しよせ、このなかに紫の光沢をはなつふしぎな枯木がありました。
檀頭大石六兵衛氏等が話しあいの上、これを拾いあげ菩提寺である当山に運び込んだと、 縁起文はいまに伝えています。
また時の七代住職、祖庭禅師はこの霊木に深い感銘をうけ、 檀徒農民の五穀豊穣と福寿康寧を祈願して地蔵菩薩の造作を発願し、 京洛の仏工師に彫刻を依頼したとも記されています。 五年の歳月をへて享保四年(一七一九)十二月に念願のお地蔵さまが完成し、 めでたく開眼供養されました。これらの記録は、須弥壇御奉座の上にかかげられた 「縁起之額」に漢文で刻まれています。平成二年(一九九〇)、 新堂宇の伽藍落慶を機に尊像厨子とも修復され、現在に至っています。 ご本尊を拝まれるときは、かような歴史があることを思い浮かべていただきたいです。 お地蔵さま信仰には、十種のご利益があると言われています。錫杖や宝珠をもっているのは、 人々の煩悩をとりのぞいて真の人間性に目覚めさせるために、 いつでもどこでも出かけて行って、 衆生済度するという実に積極的な心が示されているのです。 いまは亡き元妙心寺派管長山田無文老師は、 お地蔵さまのことを救急菩薩と呼んでおられました。 |
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| 日々真面目あるべし | |
| 副住職 雲 井 栄 成 合掌 | |
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明けましておめでとうございます。
新年は、なんとなく心改まった感じがして、
ふしぎと清新な気持ちが起こってまいります。 このたび海龍寺報1号を発行しました。 昨年六月より副住職という役職をいただき、何かをせねばと思う新たな気持ちからと、 少しでも仏教というもの、お寺というものを身ぢかに感じてほしいゆえんからです。 檀信徒のみなさまと少しでも交流をもち、 お釈迦さまの教えのすばらしさをいっしょに学んでいこうとおもいます。 雲水生活をふり返って 私たちの宗派では、寺院の大小にかかわらず住職資格を得るには、 専門道場に入って修行しなければなりません。その修行僧を雲水といいます。 私は京都の花園大学を卒業、すぐに岐阜の虎渓山専門道場に入門しました。
僧堂では新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどに接することはできません。 着物と雲水衣に真冬でも素足に下駄、わらじをはき、食事は麦飯入りの一汁一菜、
朝食はお粥にお新香だけの超粗食です。むろん冷暖房などはなく、 夜具は単ぶとんを折ってその間に挟まって寝ます。起床は未明の三時半、 就寝は夜中の十一時過ぎです。日常は読経と作務、それに托鉢と坐禅三昧です。十二月には「臘八大摂心」といって、 一日から八日まで不眠不休の坐禅を行います。あまりにもきびしい修行なので別名、 雲水殺しの大摂心と呼ばれているほどです。つらくてなんども逃げ出したくなりましたが、 いずれも坐禅修行は自分の意志との戦いであると気づき、香南軒中村文峰老師の下、 三年間がんばりました。 僧堂で雲水生活するなかで、多くのことを学びました。物のありがたさや大切さはもちろん、 同じく修行する同僚や物心両面で援助してくださる信者さんたち、 加えて僧堂周辺の人々の温かい励ましや目に見えない大いなるものによって、 いまの自分が生かされていることに気づいたのです。私たちは、 ともすれば自分だけの力で生きていると思いがちです。 しかし、どんなに偉らぶってみても、いま呼吸している空気も立っている大地も、 着ている服もみんな自分が作ったものは何ひとつありません。 ご先祖さまがいなければ、いまの自分は存在しないのです。 両親から始まってその祖父母と過去を遡り、あるいは現在の親戚友人、 隣邦や町内の人々など、自分が関係している和を広げていくと、 まさに網の目もようの上に自分がおかれていることに気がつきます。つまり、 すべてにつながりがあって生かされているのです。 言いかえれば多くの人々に支えられて、自分という存在があるのです。 これらのすべてが関係しあって、いまという現在の自分があるのです。 まずは、ご先祖さまあってこそ、自分の存在があるのですから、 初詣は菩提寺のご先祖さまへ感謝をこめてお参りしお焼香しましょう。 そして、一切衆生のあらゆるものへの感謝の心をふくらまして拝む心に、 仏の智慧が広がり、私たちに幸せな道が開かれるのです。 また、いままで気づかなかった心の安らぎを自分の心に感じ得ることができるとおもいます。 「生かされてありがたし」を今年のテーマに、 なおいっそう精進する所存であります。 | |