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平成13年(2001) お 盆 号 (4 号)
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| こ こ ろ お だ や か に | |
| 総代 大 石 健 次 合掌 | |
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私などには仏教のことはよくはわからないのですが、 なぜか、お寺さんに親しみを感じています。
子供のころ境内で遊んだり、戦争末期に本堂を教室に勉強したりしたことや、ご住職が大好きで、
意味もよくわからないのにお話を聞くのが楽しみだったという思い出によるのかも知れません。また、
大学時代に哲学を専攻したこともあって、我欲にとらわれない平穏なこころに憧れに似た気持ちを抱いてきたからかも知れません。
臨済宗のお寺さんへ行くと、白隠禅師坐禅和讃をよく唱えます。白隠禅師は江戸中期の方で、 五百年に一人しか現れないだろうといわれる妙心寺派の偉いお坊さんです。 静岡県の出身ということもあってとても身近に感じます。 坐禅和讃は、その冒頭で | |
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衆生(しゅじょう)本来仏(ほとけ)なり
と仏教の本質から、ズバッとはじめます。これを聞くとドキッとして思わず背筋が伸びます。 すべていのちあるものには、仏性(仏のこころ)がそなわっていると言うのです。 もちろん自分にも。ですから、自分の外に仏を求めても、それははかなく、無意味なことだとおっしゃるのです。 衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ たとえば水の中にいて 渇を叫ぶが如くなり というわけです。 |
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▲海龍寺先住龍圭邦安和尚染筆墨画
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人生に苦悩は尽きませんが、自分の内にある仏性を曇らせることなく、我欲の猛者にならないようにこころがけ、
慈愛をもって人様に接していこうと思います。 《白隠慧鶴禅師》 はくいんえかくぜんじ 1685〜1768 江戸中期の禅僧、臨済宗中興の祖。駿河の人。15才のとき出家し以来修行に励む。生涯百姓・町人の中にあり、平易な禅を説く。 また「隻手の音声(せきしゅのおんじょう) 」等、独自の公案(こうあん)体系を確立し、 妙心寺第一座。著書に「槐安国語(けんあんこくご)」 「壁生草(いつまでぐさ)」ほか多数、禅宗文学に一大金字塔を建つ。 |
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| 歴 史 探 訪 C 【仏舎利宝塔】 ぶっしゃりほうとう |
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この宝塔は、元々馬込川の河口付近にありましたが、安永7年(1778)九代明庵禅燈禅師
(みんあんぜんとうぜんじ)代に海龍寺境内に移設し、
盛大に宝塔の開眼供養が行われた記録があります。「舎利宝塔伝記」によりますと、『馬込川による洪水が相ついで、
中田島界隈(かいわい)の村民が難じゅうしていた。
馬込の河口は、龍の鎌首のごとく日ごと蛇行し、いっこうに治まらない。ついには、甚だしい波浪のため宝塔の塔身までも流失してしまった。
これは海の龍神のなす業に相違ない。そこで五穀豊穣をねがう村民は、龍神守護の祈願をたて海龍精舎境内に再興した』
と、いまに伝えています。また、 開眼法要は、人口の少なかった当時としては真に破天荒、近郷村民千余人が参集し、諸国からも大勢の寺院がはせ参じ、 遠江一円の宗派を超えた住職が出向いて宝塔再興を祝賀したとあります。 塔身の傾斜が目立ち始めた頃、あの淡路・阪神大震災が発生しました。その惨状を教訓に一大発心し、 平成8年春に現在地に再興しました。 舎利塔という観点から、納骨洞を設けて有縁無縁のお舎利を永代供養として祀れるよう意匠設計・施工してあります。 |
| お 盆 に 思 う 冥 福 と は | |
| 副住職 雲 井 栄 成 合掌 | |
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どこでも、冥福を祈るという言葉が使われますが、本来はどんな意味があるのでしょうか?
冥界にも冥福にも使われている「冥」という字ですが、もともとは「暗い」「暗くて見えない」という意味があります。 つまり冥界とは暗くて、われわれには見えない世界のことです。冥福をひとことでいえば「見えない幸福」のことなのです。 すなわち「私たちには見えないけれど、亡くなった方が喜ばれるように祈る」ことが、冥福を祈ることなのです。 そうすると表面的に形式的に祈ったのではダメです。こっちからは相手の姿は見えないのですから。でも相手からは、 こっちの姿は見えるとしますと、もうこれはほんとうに心を込めておまいりしないといけません。 生前おばあちゃんが好きだった食べ物を供えたり、「おばあちゃんお盆になりましたよ」とか、 「東京の孫が夏休みで遊びに来たのでいっしょにお参りにきましたよ」とか、さぞお ばあちゃんも冥界で喜んでくれているだろうと、
お祈りします。これが冥福を祈るということの、本質なのです。私たちは、ふだん目に見える世界だけで物事を判断しがちです。 しかし、先祖供養に限らず、目に見えない世界、 耳に聞こえない声、舌で味わうことのできない味わい、にふれてみようとすることも大切ではないでしょうか。 ご先祖を拝んで、生きている人が亡き無数の人びとを護り、亡き人から護られて自分の人生を豊かにそだてていきます。 亡き人びとは私たちの心のなかにいます。 時には亡き人からの声なきメッセージに耳をすませてみましょう。 そして、自分自身がご先祖の願いに叶えられるように、今を生きていくことが大切ではないでしょうか。 | |