寺報 りゅうぎん
平成17年(2005) お 盆 号 (12号)  



   ☆ 盂蘭盆とは ゆくところ、かえるところ ☆

お盆は日本でもっとも定着している仏教行事です。しかし、現代の生活様式はあまりに変化がはげしいためか、ご先祖さまを迎える精霊棚の習慣が次第に薄れて、直にご仏壇に飾りづけするのは何かさびしいきがします。
 お盆にはあの世に帰っているご先祖さまは、祀りごとを託した子たちの家にひとときの間、帰ってきます。帰るという言葉には、なんという安らかなひびきがあるのでしょう。
 まごころを込めて仏壇をきれいにして、精霊棚を飾りつけ、迎え火・送り火を焚くという恒例の盆行事はご先祖を迎えるためにはかかせません。
 送り火や今に我等もあの通り
            小林一茶
 この句は、この世は浮き世という感覚から生まれた句です。この世に浮かれている我々も、いつかあの送り火とともに帰ってゆく霊と同じところにいくんだよ‥‥という意味です。あの世からのお迎えがないという例外はないのです。必ず、ゆくところなのです。
 大晦日の除夜の鐘がなるころ「ゆく年、くる年」という番組がありますが、古い年が去り、新しい年がやってくる、その「ゆく時、くる時」を、確かにこの除夜の鐘のなるころほど感じさせてくれるときはないでしょう。
 それに対して、お盆は、人の「ゆくところ、かえるところ」に思いを致すときだといえましょう。
 わたしたちは、どこから来たのか分からないまま生まれ、気がついたらこの世界に足を下ろして人生の歩みをはじめている、というのが正直なところでしょう。そしてこの世界は、ゆく人くる人の繰り返しです。
 お盆は、生者死者が再会する季節といえます。また同時に生者自身のゆくところ、かえるところを考えさせてくれる時節でもあるんですね。

         住 職 合 掌 


   そんなことで 死んではいけない!    
 自殺という言葉を、新聞やテレビで見聞きしても、人々がおどろかなくなる社会。だれかの自殺のニュースを聞いても、交通事故死と同じ感覚で受けとめてしまう社会‥それはいうまでもなく不健康な社会です。
 もちろん昔から自殺はありましたが、自殺に至る気持ちや動機が少し違ってきています。ただ単純な動機での自殺が増えてきたような気もします。自分自身のみならず、インターネットやメールで同調希望者を募り、見知らぬ同士が集まって車の中で、この世といとも簡単に訣別してしまった報道が度々ありました。自殺の原因を聞くとき、えっ!そんなことで、と思ってしまうことがあります。動機のはっきりしない例もありました。自殺する人の心には、他人に推し量ることのできない苦しみがうつうつとしてあったでしょう。しかし、そんなことで、あなたは生まれてきたのではなかったはずなのに、死んでしまったら、一番悔しい思いをするのは、あなた自身ではないのか:という思いです。
「人身得ること難し」という言葉の重みをいつも考えていかなければ、命はどんどん軽くなってゆくばかりです。人が人として生まれるのは、そんな簡単なことで生まれてきたのではないはずです。
 自分の命は自分のものという考え方は、仏教では否定します。
 ザ、ストップ。自ら命を絶ってはいけません。

【小学生のための夏休み寺子屋】教室 開講のお知らせ
 平成十七年 八月 六日(土) 開 催
 時 間  午前 六時半〜十時半

  お寺で 一休さん 体験しよう!
 
会  場  海 龍 寺 本 堂
参加者  小学生及び保護者
      檀家以外の生徒も歓迎
指導者  副 住 職 雲井 栄成
檀徒総代 大石 健次
         元南部中学校長
世話人  青壮年部役員一同
会 費  無 料
一休さん
時間表
 6:30 集 合 ようこそ!
 6:45 日程・坐禅説明・自己紹介
 7:00 坐 禅 一回目(一〇分)
 7:20 坐 禅 二回目(一〇分)
 7:45 お話:いのちの大切さ
 8:00 奉仕作業 本堂内の掃除
 8:30 朝食(粥座:おかゆです)
 9:00 夏休みの課題 一研究の相談
10:30 解 散 さようなら! 



  お 経 の く ど く

 法事やお葬式へ行くと、お経をとなえ焼香とともに回向をいたします。回向とは、供養する側の善根功徳を故人にさし向けることです。焼香して礼拝、人それぞれが故人に対しての思いはちがいますが、その真心を回向に託します。和尚さん
 ところで私たちが、故人のためにお経をあげても、その声はちゃんと届いているのだろうかと思っている方もおられるのではないでしょうか。
 生きている間は、いろんな声や世間の雑音のために、聞こえなかったお経の文句が、肉身としての耳を失った今、かえって心の耳で聞こえるようになる:そう考えてもよいのではないでしょうか?
 なぜなら、お経は普通の言葉ではなく、私たちが目に見たり耳に聞いたりすることや、また自分というものさえも仮にそうあるだけの存在で、元からあるものではないことを説いている真理の言葉なのです。いわば、仮の目で見、仮の耳で聞いていることをすべて取り去って、まことの耳で聞きなさいと説いているのがお経です。
 まことの耳で聞くとき、川のせせらぎ、木をゆらす風の音、すべて仏さまが説法している声と聞こえてきます。私たちがお経をあげることは、その仏さまの説法と共鳴することですから、その声は自然と高まり、ここではない世界におられる方にも届くはずです。
        副住職 合 掌