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| 2005年 6月 5〜10日 浜松市仏教会 |
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黄山 こうざん HUANGSHAN 世界自然・文化遺産に指定されている |
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黄山はひとつの山の呼び名ではない。大小あわせて72の峯をもつ山の塊である。
ひとつの峯がひとつの岩のかたまりという表現にふさわしい景観である。
1990年に「世界自然・文化遺産」に指定された。奇松、奇岩、雲海、温泉という四つの名勝があり、
黄山の美しさを彩っている。ある時は雲海に包まれ、霧が滝のように流れる幻想的な光景、
またある時は、朝日を浴びて峯々の荘厳な姿や枝ぶりのみごとな黄山松が趣をまし、 山水画の風雅な世界がくり広げられる。
中国十大風景名勝のひとつに選ばれている。
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深い谷、遠くへ広がる景観がすばらしい |
【雲谷寺 うんこくじ】
古くは擲鉢禅院(てきはつぜんいん)と呼ばれていたが、 まわりの渓谷に雲霧がたちこめることから、明の時代に雲谷寺と改称された。しかし、現在はお寺はなく、 ロープウェイの駅があって、黄山登山の出発点となっている。453年、新羅の僧によって、黄山最初の寺院が建てられた。 唐代以来、100位の寺院建築があって、実際僧侶もいたそうだが、何度もの洪水により崩壊したという。 黄山は元々、交通の便が悪く、その後、寺院は再建されることもなく、そのままになってしまったらしい。 |
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【迎客松 げいきゃくしょう】
稜線と松がつくりだす独特の景観である。
丹精こめてつくりあげた芸術品のような松で、枝がまっすぐに横にのび、品格のある樹齢は800年。 まるで登山客を出迎えるかのようにたっていることから、迎客松と名づけられている。 |
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【黒虎松 こくこしょう】
樹齢千年を越える古松。太い幹から枝が四方に伸びて、躍動感にあふれている。この松を上空からみると、 中国の高名な書道家の書いた虎の文字に似ていることから黒虎松と名づけられたとか。 |
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【連理松 れんりしょう】
千年連理松といわれ、樹齢1000年を超える古松。 このほかに黄山には、 【龍爪松 りゅうそうしょう】 【探海松 たんかいしょう】 【竪琴松 じゅきんしょう】 【送客松 そうきゃくしょう】 などと名づけられた枝ぶりのみごとな松がある。 |
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【 名勝・奇岩・奇石】
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▲合掌石 |
▲飛来石 |
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九華山 きゅうかさん JIU HUA SHAN 中国の四大仏教聖地 |
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天下第一奇松・夙凰松
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九華山は黄山のほぼ西北にあり、周囲100q余のひろがりををもつ。黄山と同様に九華山は一つの山ではない。
標高1342Mの十王峰をはじめ天台・天柱・蓮花・芙蓉など九峰をふくむ大小約99の山峯の総称である。 |
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【祇園禪寺 ぎおんぜんじ】九華山四大叢林の一
表敬訪問
寺院は九華山唯一の宮殿式建築である。「霊宮殿」、「弥勒殿」、「大雄宝殿」、「客殿」、「斎堂」、「庫院」、「退去寮」、 「方丈寮」、「光明講堂」等からなり、弥勒殿と大雄宝殿をのぞけば、すべて“民居式建築”。 寺門の門楼は広さ5間、高さ3間で、門頭は三層の黄色瑠璃瓦である。梁棟は玄奘取経、水漫金山、 渭水垂釣等の飾彩絵物語が描かれ、「祇園禅寺」の門額が掛かっている。 山門の裏側は、左右が仁王像、中央が鋼の鞭を手にした三つ目の「王霊官護法神」の像である。 その両脇に『三眼、遍く天下の事を観る。一鞭、世間の人を驚醒す』の対句がかかっている。王霊官は道教の神仙のこと。 九華山の伝説では韋駄天が生き物を殺生し、仏道から破門されたので、 金地蔵は九華山が道教聖地であるため王霊官を仏教の護法神としたものである。 大雄宝殿は高さ35m、面闊25m、奥行き19mで、殿内には高さ12mの三世仏(釈迦、阿弥陀、薬師)を祀っている。 大殿両側には、文殊、普賢、十八羅漢が配置されている。文殊は青獅子に跨り、頭には五智を表現する五髻を結び、 手には智慧利剣を表す宝剣を持っている。普賢は白象に乗り、手には如意荷花を持ち、義理円通を象徴している。 |
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【百歳宮 ひゃくさいぐう】
蓮花仏国有金身
百歳宮は九華山東峰にあり、万年禅林、護国万年寺ともいわれている。初名を「摘星庵」といい、祇園寺、東崖寺、 甘露寺とともに四大叢林のひとつである。 寺院は明代万暦年間に創建された。五台山の僧・海玉(字は無瑕)が九華山へ行脚し、ここで20年がかりで自らの血をもって 「大方広仏華厳経」81巻を書き上げたところである。これは完全に保存され国家一級の宝物。 無瑕は天啓3年(1623)110歳で円寂したので「百歳宮」と称されるようになる。その3年後、皇帝の使者 (恰逢王・欽差)が来山するが、欽差は夜露の中に結跏趺坐をした無瑕の姿を透視する。このため無瑕遺体を金塗し庵内にて保護する。 金身の作り方は、まず死体は陶器瓶の中に入れ石灰をいっぱい詰めて約10日間弱い炭火でたかれ水分を完全に取りだし乾燥させたものである。現在まで350年経過しているが、空気に触れても腐らず、今日まで残っている。 |
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【肉身宝殿 にくしんほうでん】
金地蔵安身処
肉身殿は神光嶺頭にあり、月身宝殿、肉身塔、地蔵塔などとも呼ばれ、金地蔵(金喬覚)の墓があるところ。 金喬覚(696〜794年)は新羅の僧で、俗称“金地蔵。99才の時、突然弟子たちを集め、結跏趺坐のまま告別し円寂した。 弟子は地蔵菩薩を表現した『大乗大集地蔵十論経』の菩薩“安忍如大地、静慮可秘蔵”とあることから、地蔵を供養し、 石塔を建立し、金地蔵と尊び、肉身殿と呼ばれるようになった。 |
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【化城寺 けじょうじ】
蒲牢一撃 四山響応
九華山の総叢林は化城寺である。寺院入り口の建物は、現在「九華山歴史博物館」となり、九華山内の多数の文物を移して展示。 このなかに有名なものとして「梵文貝葉経」と海玉(無瑕)が自らの血をもって記した「明代血経」がある。 化城寺の名は、『法華経』から取っている。伝説では晋代にインド僧・杯渡がこの地に庵をつくり、 唐代のの開元年間に僧・檀号が寺額に“化城”と書き記した。 |
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【天台寺 てんだいじ】不上天台
塔于白来
天台寺(地蔵寺、地蔵禅寺)は海抜1306mの天台山頂にあり、九華山では一番高いところにある寺廟である。 地蔵聖地を参拝することは、かならず天台に行くことで、“不上天台 塔于白来”の説がある。 天台寺の歴史は長い。伝説では唐代の金地蔵がこの場所に居住していたといわれ、 僧・契瓶が羅漢士敦からここに来て話をしたという「金仙洞」が残っている。寺廟はもともと木造4階建ての走馬通楼だったが、 山頂という困難な施工条件のもと、600余dの建築材料を天台峰山頂へ運び上げ、コンクリート3階建てとして昔の風格を造る。 寺院は三つの居民式殿堂からなり、嶺の平らな部分に横たわっている。 山門は南面にあり、 寺門の弥勒象を通って三進殿に通じている。大殿は(万仏楼)広さ10m、奥行き13mで、弥勒殿の小門には脚印がある。 これは金地蔵の足跡と伝えられている。「棒月亭」は清代乾隆2年(1737)花崗岩を用いて建造したもの。 ここから月出や雲海を観ることかできる佳境で、九華十景の一つである。 |
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